抗がん剤

2003年5月。 2回目の手術が終わって1ヶ月たったあと、抗がん剤が始まりました。
ACとTという3種類。 最初のACを2週間ずつ6回。 Tのほうを2週間ずつ4回。

朝、病院に着くとまず静脈に針を入れ、まず1時間ほど点滴。 そのあとからAを点滴の袋から落としていき、そのあとCのほうを入れていくので3時間くらいかかったと思います。

私には抗がん剤が手術より放射線治療より一番辛いものになりました。
最初から副作用が強く出て、吐き気やしびれなどですが、それ以上に疲労感がひどかった。
ベッドに横になったまま、何も出来ないというのが10日くらい続いて、3,4日やっと人間並みになったと思ったら次の抗がん剤(普通は3週間おきですが、進行してたので2週間に1回)

始まる前に髪が抜けるのは聞いていたので、短くカットしておいたんですが、やはり抜け始めたらすごくショックで枕についた髪やシャワーで抜ける髪を見て泣いたものです。
どうせぬけてしまうのなら、と、ある日全部剃ってしまいました。 
ここでも夫が活躍してくれて手伝ってくれて、「可愛くなった、赤ちゃんみたい」なんて大嘘ついて、泣く私を慰めてくれました。 日本から手伝いに来てくれてた母も「あんなにおしゃれだったのに」と泣き、息子も「ママが変わっていくのがいやだよ」と泣いていました。 
「見た目が少し(少しじゃないけど)変わるだけでママの心はちっとも変わらないよ、いつでも、いつまでも大好きなんだから」って慰めていると、夫は「おそろいにしよう」って自分の頭もそってしまいました。
もうかなり薄くなっていましたけど、そりあげるのは勇気がいったことだと思います。
正直、うれしかった。 はげ頭を並べて写真を撮ったりして。 
ちなみにそり続けてるうちに夫の方はもう禿げてしまって、私の髪が伸びてきた頃にずるい!なんて笑ってましたが。

抗がん剤を続けるうちにまつげも眉毛もどこの毛もなくなっていって、泣くよりも驚きが強くて「人間いろんなパーツをとったら皆同じような顔なのかも」なんて考えたり。 顔色も悪かったしどこかのおじいさんみたい、なんて。

抗がん剤は白血球を破壊するのでかなり抗菌に気をつけなくてはなりません。
私の場合、白血球を増やす注射を抗癌1日目から1本ずつ10日おなかに打ちました。
約80本、ほぼ自分で。 最初の1本はできないよーこわいよーと泣きながら。

やけになって腫瘍科の医者に「もうやめたい!」と抗議したところ「ok」なんていうじゃないですか、
そして「続けるのもやめるのも自分の意志でいいんだよ」なんて言うのです。
でも反対にそれを聞いて目が醒めました。 誰の為の治療なのか、自分が生きてまた普通の生活に戻る為じゃないのか?ってその先生は言いたかったんだと思います。 アメリカの生存率が日本より悪いのはこういうこともあるのかもなんて思ったり。 きっと「ok,私はもうたくさんよ、やめるわ」なんていう人も多そう。

この医者は腫瘍科の専門医、前回のネバーノーの外科医、形成外科の医者、放射線科の医者と4人でチーム。 そこに癌の後の精神的なケアの先生、抗がん剤の特別チーム。 後にこのドクターは変えてもらいました。
「そんなこといいの?」と思いましたが、アメリカでは良くあることだそうです。

この中の放射線のドクターに私は何回も助けられました。50台後半のかっこいい女性のドクターでいつも笑わせてくれました。 落ち込んでる時に、ワンワン泣きながら
「ドクター、、私、、死ぬの?」と聞いたら
「OH!!YES!! ただし99歳くらいにね。 孫に囲まれて死ぬのよ、すばらしいわね、その頃私はとっくにアッチの世界に行ってるから待ってるわ」なんて言ってくれて。
「あなたね~あんなに可愛い子供がいるのに、孫を見たくないの? 孫を抱きなさい!!」って。
その医者の一言でどれほど救われたか。 それ以来私のモットー(?)は孫を抱くまで生きる!なのです。
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No title

なんて素敵なご主人と放射線の先生なんでしょう。アメリカ人のユーモアが気持ちを楽にしてくれることありますよね。
アメリカでの生存率が低いのは知りませんでした。治療費が高いからかしら。
放射線は辛いですね。私の父も肺がんでしたけど大変だったみたいです。

ひ孫さん☆

確かに治療止めるのOKなんて言われるのは
なかなか日本人には慣れないですね~.
99歳まで生きたら大往生です!
お孫さん,ひ孫さんまでいけますよ!!
今を乗り切って,
素晴らしい人生が待っていることを
日本の片隅から祈っています☆

No title

ほんと、いいご主人ですね。
ナカナカできることじゃないと思います。

そして、日本のお医者様も、
こんなジョークが飛ばせるようになったらいいんですが
冗談の通じない患者さんもいて、
その辺が国民性の違いなんでしょうね。

さて、僕も両方やりましたが
放射線治療と抗がん剤を手術の後すぐ、同時に
なんてハードなことするんで
白血球の値が下がりすぎて、途中でダウン。
何度かやりましたが、その度白血球が下がりすぎるんで中断して、
結局は錠剤に変えて、2年ほど続けました。

まぁ、その間で「食事療法」を知り、
そちらで、食道への転移を食い止めたので
今年の夏ごろに、副作用の方が心配で抗がん剤はやめました。
Tomotanさんも、参考にしてみてください。

お返事遅くなりましたが
僕は「シャント法」という手術で、気管と食道の間に細いパイプを通し、
声帯の代わりに食道に設けた「仮声門」を振動させてしゃべっています。

食道ですから、声の質は「ドナルドダック」みたいですが、
しゃべり方やクセなどは以前のままで、バリバリにしゃべれます。

また、癌というのは、食生活を含めある意味
「生活習慣病」のような所がありますので
魚と野菜を中心とした玄米菜食「マクロビオッテック」を中心とした、
食生活を続けていくつもりです。

お肉主体の高カロリー食が多くなるアメリカ生活。
Tomotanさんも再発・転移のないよう、食事にも気を配ってくださいね。

ミキさん、こんにちは!!

アメリカ人って辛らつな時もあるけど、ユーモアで笑ってくれたりするので私の性格にはあってます。あはは。 日本とアメリカのサイトを比べたらこっちのほうが低かったんです。 治療できない人も沢山居るんだと思います。
肺癌たいへんでしたね。 放射線は皮膚が焼けてしまうので、それが痛かったです。

ねこちょうちんさん、こんにちは!!

 ひ孫!いいですねー!! がんばります(笑)
私みたいなふざけた性格の人間は癌なんてならないと思ったのに、分らないものですよね。 いまだったらいい経験だったということができます。
暖かいコメント有難うございました。

癌ダム4Gさん、こんにちは!!

大変な経験をされたんですね。 すぐって言うのはきついですよね。 抗がん剤が一番参りました。横になったまままぶたを開けるのさえ、マラソン並みの疲れで。 これで生きてるっていえるのかななんて考えて絶望したりしました。 でもOKなんていわれたらOKじゃねえだろう(失礼)なんて思っちゃいました。
声が出せるんですね!すごい!よかった。 そんな手術があるんですね。 びっくりしました。
食事療法をされたのですね。 玄米菜食中心ですか? ブログを読ませていただいてますが、ジュースを毎日作られてるんですね。 それをパンにしたりしてすごい! 私よりうんとお料理上手そう!
アメリカは毎日肉ですねえ、やっぱり。 食生活は悪いとおもいます。 なるべく納豆と豆腐は食べてます。 がんばりましょう!!
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tomotan

Author:tomotan
アメリカ人夫と結婚生活24年目、アメリカ生活17年目です。市民権をとり7年になりました。アイダホ、ハワイ、LAからオハイオにやって来ました。22歳の息子と7歳のニャンズがいます。ステージ3Cからの乳がんサバイバー14年目です。アメリカのドラマと映画が好きです。スリラー小説も。

乳がん治療の記録
2003年3月ステージ3乳癌発覚/ 3月手術2回(左胸全摘出とリンパ転移摘出)/5月から9月AC&Tの抗がん剤/9月から10月の終わり 放射線治療33回/ 再建手術、縮小手術、再建失敗により取り出し手術など4回/2005年子宮卵巣摘出手術 ホルモンブロック剤アルミデックス治療10年。 乳がん闘病日記はカテゴリーにまとめてあります。
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