乳がん闘病日記2003年の記録 3 手術前と手術

 
☆ 前回は告知からハワイ行き、治療方法の話し合いまで書きました。 当時の日記をそのままなるべく写していますが、個人名や闘病に関係ないことは削っています☆




3月11日 火

昨日のアポで手術は来週の火曜日くらいだそうだ。 大手術、怖い。
昨日はヒッカムショートヘヤーカタログを買ってきた。
手術前に髪を切ろうと思う。
どうせ抜けてしまうのだから。

もっと本を買ってくれば良かった。 インターネットが見たい。
情報が少なすぎて怖いのだと思う。

 
ワイキキズーに行った。 息子はとても楽しそうだった。
3人で歩いていると、まるで何もかも普通で、バケーションに来ているような気がした。



3月12日


今日のアポはフィジカルエクササイズ。
今日の話はまたショックだった。
私の場合リコンストラクション(再建)は後にするらしい。
マステクトミー(乳房切除)をさきにするらしい。
先に悪い所をとってしまって、治療をして1年後くらいにリコンストラクションするという。
それほどのリスクなのかと大ショックだった。
リンパにも転移しているのでとにかく治療が先ということか、、?
毎回だけど、やはり泣く。



3月13日


昨日と今日 おなかを壊す。 心配と不安。

白髪もいっぱい増えた。

もうすぐショートにする長い髪。
もうすぐ1つになる豊かな胸。

1時オンコロジーアポイントメント

昨日聞いていたので今日はショックではなかった。 質問もいくつかした。
とにかくリスクを少なく取ってしまうのを先にしたいと。
手術は3時間くらいらしい。

ワイケレアウトレットに行く。
青い空の下ショッピングをして楽しかった。
それがたとえ手術後の胸のない姿を考えながら買った物でも。
またこうして買い物したい。
3年後も10年後も。




3月14日

命があれば良いと思うものの、やはり胸のことは悲しい。
昨日ママは手紙を受け取って泣いていた。
持ってきて欲しい物を頼む。
1年はいるようなので息子の辞書なども。


3月16日


ホテルから基地にうつれることになり、チェックアウトとチェックイン。(基地の中の宿泊施設)
キッチンもあり洗濯もできる。良かった。
夜はパスタを作る。 コミサリーに行くけど良いものあまりなかった。


3月17日

アポ 8時。 アナステージア(麻酔医) 血圧は98-77
ヤミーコリアンBBQを買って帰ったら病院から電話。 明日手術決まる。
夜ウオールマートでバスローブや下着など買う。


3月18日火曜日

7時に病院入り。

昨日の12時から何も食べていないし飲んでもいない。 
朝5時半に起きてシャワーだけして病院へ。

今12時。 まだSACのウエイティングルームで待っている。
胸のレントゲンのような写真を撮った。CTスキャンのような機械で1時間くらい横になって。
うとうと寝てしまった。 今日はナーバスだ。
おなかもすいてるし、心配、怖い。
どのくらい痛いのだろうか?
その後のことも心配だ。



☆手術が終わって、目が覚めてから☆



18日に手術、今右腕はこんなふう(イラスト)

おぼえていることだけ書くと、手術後目がまださめる前に、ものすごく震えたこと。

足ががくがくして気持ちが悪く、2回(ナージア!!ナージア!!)と叫んだこと。

歯がガチガチして、足ががくがくして、誰かが「ミセス〇カモーン!!ミセス〇!!」と呼んでいた。
危なかったのかも。

その後目が覚めたとき、夫と息子がいて大きなバラの花束とぬいぐるみ2個、カードアなど持ってきてくれた。
すごくきれいな色とりどりのバラに大きなオレンジのリボン。 
でもその日はほとんど見られなかった。(夜7時半頃)
トロトロ眠った。

夜中となりがうるさくて何回も目が覚める。
痛みもなく気分は良かったのだが、頭が震えてフラフラする。
とにかくドラウジー。 すごく眠い。

スイッチを押すと点滴から入る痛み止めを使っていたのだけど、それはモルヒネだった。
何回も押したので、ものすごく気持ち悪くなる。

夜中にナースからトイレに行くように言われる。 夕方手術したのに。
”I can't" と言ったのに ”Yes! you can!"なんていわれた。
「手術したのは足じゃないのよ」なんて言う。

牛歩より遅く歩いたけど気持ち悪く3回吐く。 おなかに何もないけど。
最悪な気分だった。
手術前に色を入れたので(たぶん、胸の腫瘍に色付け?)紫色のおしっこが出た。

その後からずーっとものすごい吐き気。
ナースが3種類くらい点滴に入れたけど効かず、座薬を入れる。

次の日の朝 クリアスープとジュース。とても食べられなかった。
力が出ず、すごく吐き気と眠気が襲ってくる。
今もちょっと目をつぶると寝てしまう。



☆ この後宿舎に帰ってから思い出して手術のこと書いていますが(次回)このときは起きてすぐに書いていたようで字もよれよれです。 長くなりましたので、今日はこの辺で。☆

















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No title

ごぶさたしております。
(でも記事は、毎回拝見させていただいてますのよ。Googleリーダーで。笑)

治療法の説明や相談、アメリカと日本では、少し事情が違うのかな?
私の入院先では、あまり詳しい説明や術後のことなど教えてくれなかった。です。
快復も個人差があるだろうから、医師たちも言わない、言えないのだと思ってました。
私は、ネットであちこち読み漁りましたけどね。
病棟は、半分以上の方が脱毛されていましたから、抗癌治療を受けておられるのだと判りました。
医師から、あまり指導や説明がないので、患者さん同士で、情報の交換や精神的な支えあいが見られることもありました。
それと、極端にお見舞い客が少ない。病室にお花や、食べ物の差し入れがほとんどない。
日本では、まだ婦人科の病歴を公言することを恥ずべきことと思っているような風潮があるのだと思います。
痛くて怖くて泣き叫んだって、いいんだゾ。と言って欲しい。と思っちゃいます。
tomotanさんの闘病日記に、勇気をもらえるひとがいらっしゃると思います。
乗り越えたら、そんなの屁よね。ってね。

No title

これだけ詳しく術前後のことが書いてあると、これからという患者さんには十分な準備が
できて、とてと役にたつと思います。覚醒前の体の震えなど、他のOP後でもみられます。
ある患者さんは、痛くも苦しくもないけれど、こうやって死ぬのかなと思ったと・・・。
こうして過去のものを書き写すのも大変だと思いますが、ぜひ続けてくれたら嬉しいです!
薬を1個飲めば、癌が消える日が早くくればなと思いますよ、本気で(アカデミックじゃないけど)

hwanさんへ

> ごぶさたしております。
> (でも記事は、毎回拝見させていただいてますのよ。Googleリーダーで。笑)


お久しぶりです!!
読んでいただいていたのですね、ありがとうございます。 グーグルリーダーとはスマホみたいなもの?

> 治療法の説明や相談、アメリカと日本では、少し事情が違うのかな?
> 私の入院先では、あまり詳しい説明や術後のことなど教えてくれなかった。です。
> 快復も個人差があるだろうから、医師たちも言わない、言えないのだと思ってました。
> 私は、ネットであちこち読み漁りましたけどね。



治療方法はすごく詳しく教えてもらえますし、手術前に(これでいいか?)と言うようなサインもします。
こちらでは医者まかせというのはなく、患者の希望を聞いてもらえます。
なので、反対に自分が悲しくてもしっかりしていないと「あなたはどうしたいのか?」と突っ込まれます。
なんでもはっきり言うので、落ち込むこともありました。


> 病棟は、半分以上の方が脱毛されていましたから、抗癌治療を受けておられるのだと判りました。
> 医師から、あまり指導や説明がないので、患者さん同士で、情報の交換や精神的な支えあいが見られることもありました。
> それと、極端にお見舞い客が少ない。病室にお花や、食べ物の差し入れがほとんどない。
> 日本では、まだ婦人科の病歴を公言することを恥ずべきことと思っているような風潮があるのだと思います。
> 痛くて怖くて泣き叫んだって、いいんだゾ。と言って欲しい。と思っちゃいます。



指導や説明がないのは困っちゃいますね。 日本はちょっと前までは告知もしなかったくらいですもんね。
優しさかもしれないですけど、私はこちらのほうが合っている様な気がします。 
何でも知りたいですもん。’例え悪いことでも。

基地の中で子供を生んだので、こっちの病院はなんて違うんだろうとそのとき思いました。
泣き叫んでも良いと言ってもらえますよ(^^)反対にやせ我慢してしまった人がいて(日本人)
化膿して「あなたの口は何のためについてるの」って怒られたそうです。

比較すると面白いですね。



> tomotanさんの闘病日記に、勇気をもらえるひとがいらっしゃると思います。
> 乗り越えたら、そんなの屁よね。ってね。



そうですか!? そういってもらえると心強い~!!
すごく嬉しいです!!
ね、乗り越えましたモンね!! 屁ですよね!!

りょうこさんへ

> これだけ詳しく術前後のことが書いてあると、これからという患者さんには十分な準備が
> できて、とてと役にたつと思います。覚醒前の体の震えなど、他のOP後でもみられます。
> ある患者さんは、痛くも苦しくもないけれど、こうやって死ぬのかなと思ったと・・・。


誰かの参考になってもらえたら、とっても嬉しいです!! 私は情報がなくてすごく怖かったので。
特に外国で手術される方の力になれたらなと思います。
こうやって死ぬのかなって、すごくわかりますね、、。 覚醒前ですよね、あの瞬間はすごく強烈でした。



> こうして過去のものを書き写すのも大変だと思いますが、ぜひ続けてくれたら嬉しいです!
> 薬を1個飲めば、癌が消える日が早くくればなと思いますよ、本気で(アカデミックじゃないけど)


勇気が出ます!ありがとう。しばらく続けたいなと思います。

本当に本当に数年後には「癌なんて昔は怖い病気だったらしいよ」なんてことになればいいなと思っています。
盲腸炎だって昔は危ない病気だったのですもんね、全くの夢物語ではないと思いたいです。

母の事を思い出しました。。。

こんばんは。
よく書き留めて置きましたね。当事者の言葉はやはり生々しい。本当、頑張りましたね。
母も癌でしたが、当時はまだ患者の言葉もあまり聞き入れないような風潮があって、術後母が違和感を感じていた腸もきちんと調べていれば助かっていたのに、と今でも残念です。
癌の原因になる遺伝子を傷つける要素、特に原発から出る放射性物質を無くさないと、です!
そしてもっともっと良い治療法が確立される事を願いたいですね。

Yokoさんへ

> こんばんは。
> よく書き留めて置きましたね。当事者の言葉はやはり生々しい。本当、頑張りましたね。


Yokoさん、こんばんは。
結構詳しく書き込んでいます。 (書く)ことで痛みや辛さを忘れようとしてたんだなと思いますね。


> 母も癌でしたが、当時はまだ患者の言葉もあまり聞き入れないような風潮があって、術後母が違和感を感じていた腸もきちんと調べていれば助かっていたのに、と今でも残念です。


お母様癌だったのですね、、。 
昔は特に告知さえしなかったり、日本ではまだ医者が治療を決定するというかんじですもんね。口を出せないような風潮は変っていないのかな?


> 癌の原因になる遺伝子を傷つける要素、特に原発から出る放射性物質を無くさないと、です!
> そしてもっともっと良い治療法が確立される事を願いたいですね。


放射性物質はやはり大きな原因になっていますよね。
すごく癌が増えたと思います。 恐ろしいことですよね。
プロフィール

tomotan

Author:tomotan
アメリカ人夫と結婚生活24年目、アメリカ生活17年目です。市民権をとり7年になりました。アイダホ、ハワイ、LAからオハイオにやって来ました。22歳の息子と7歳のニャンズがいます。ステージ3Cからの乳がんサバイバー14年目です。アメリカのドラマと映画が好きです。スリラー小説も。

乳がん治療の記録
2003年3月ステージ3乳癌発覚/ 3月手術2回(左胸全摘出とリンパ転移摘出)/5月から9月AC&Tの抗がん剤/9月から10月の終わり 放射線治療33回/ 再建手術、縮小手術、再建失敗により取り出し手術など4回/2005年子宮卵巣摘出手術 ホルモンブロック剤アルミデックス治療10年。 乳がん闘病日記はカテゴリーにまとめてあります。
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