祖父と祖母の話

過去に祖父の記事を書きました。 長崎原爆

長崎にいたおじいちゃん。 原爆の後はしばらくとどまって地元のお手伝いをしたそうです。

原爆の後に現地に入ってすぐに被爆して亡くなった方も多いのに、とても強い運だったとしか言いようがないですね。

たくさんの方を火葬にするために残っていたのだと思います。
長崎でのことは小さいころ言葉を選びながら話してくれました。繰り返し、繰り返し。


原爆で指の先は溶けて固まったようになっていましたけど、症状はそれだけでした。 

そして何回も切っていた扁桃腺、それが原爆後、治ったそうです。 
今考えると放射線治療のようなことだったのかな? 不思議です。


そんな惨状を目の当たりにしながらもアメリカの悪口を言わなかったおじいちゃん。 

考えるとすごいことだと思います。 
「悪いのは戦争やけんの」と今も声が聞こえそう。

そんな祖父とずっと連れ添った祖母。

京都で舞妓から芸者になった人でした。

器量よしだったので小さいころに京都に売られていった祖母。
きれいで、三味線と唄がうまかったそう。
我が家に外国用の絵はがきのモデルになった写真も残っています。

とても強い人でもありました。
母の父親である(旦那さん)からの結婚の申し出を断った人です。

強く、優しく、おもしろい。 

戦争中でもダンス用の草履を作って踊りに行き、憲兵がなだれ込んできた時にその草履を胸に抱いて走って逃げたそうです。 なんかDNAを感じます(笑)

私が小さいころでも花街の面白い話を聞かせてくれた(シモネタ)好きなおばあちゃん。
母からよりもうんと性教育を受けた気がします(笑)


芸者でいながら母を育てた祖母。 子供のいる女性を好きになって結婚した祖父。


原爆の日ということもあって、誕生日には必ず祖父と祖母のことを思い出します。


今いたら、夫と息子の事、きっとすごく可愛がってくれただろうな、と。

おばあちゃんのことですから「でっかい、ガイジンやねえ」なんて言いそう。
そしておじいちゃんは「でも、優しいのお、よか男じゃ」なんて。
息子の事も「あいのこ、やけど苛められんかねえ」なんて言いそう。

そんなことを考えると泣きそうになります。

「どうしてもっと優しくしなかったのか」とか「あの時こうしてたら」と考えてしまいます。

そういう後悔の気持ちを持ちたくなくて、母にも精一杯できることをしたつもりなのです。



結果がどうあれ、今はもう満足しています。

日本で生活が苦しくなっても帰りたいのであればそれでいい。

そして離れたまま逝ってしまっても、後悔はしないつもりです。 それが望みであるなら。



私たち3人&こたちゃちゃも楽しく幸福に暮していくつもりです。
旅行をしたり、いろいろしたいな。 楽しい計画を立てるつもりです。


それでいいのです。
後悔する人生を送ってはいけないものね。









いつもありがとうございます。


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不思議な話、その1

過去におじいちゃんのことを書いたことがありました。

長崎での被爆のことを。記事はこちら長崎原爆

そして私が性格を受け継いだおばあちゃん。

勝気で陽気で強い人だった。

この2人のことをよく夢に見るんです。

そのたびに母に「こんなこと言ってたよ」と伝えていました。

母は怖がりの癖に(あ、いっちゃった)霊の存在を信じないのです。

私は神様も幽霊もUFOもUMAも何でも信じちゃう素直な(笑)性格なのです。

そして信じているからなのか不思議な体験をたくさんしています。

ハワイでは特によく感じました。 
でもどういう書き方をしてもオカルトっぽくなってしまって、ブログの趣旨と合わない(笑)

決して怖い体験ではないのですが、苦手な方もいると思うのであまり書きませんでした。

でも今回すこーしだけ。

元旦から怒鳴られて参ってた私。今回はいつまでも引きずって、夜中に考えたりしてたんです。

眠れずにぐじゅぐじゅ考え込んだり、言われた台詞が頭をグルングルンまわったり。

そして

「は~~~しょうがないよね、、がんばらないとね」って思った瞬間

「がんばらんと、どうするか!!」

とおじいちゃんの声がはっきりと聞こえたんです。

「えええ~~!!じいちゃんね、そうやろ?」(祖父祖母は九州に住んでいたときに同居してたのでちょい小倉弁)

でも返事は、なし。

「顔見せて!こわくないけん、でてきて?」と言ったのですが、それは叶わず、、。

そこまでの力というか霊感と言うかは私にはなかったみたいですが、絶対に気のせいじゃないし人違いでもなかった。

元気出さないと駄目だぞと言う意味の言葉。 久しぶりに怒られて嬉しかったんです。

母は相変わらすの半信半疑(いつも気のせいじゃないの~?と)

でもあれはおじいちゃんだった!!

亡くなる前はオジー(オズボーンとひっかけて)なんて呼んで冷たかったのをすごくすごく反省してます。

おばあちゃんもおじいちゃんも母が心配なんですよね、きっと。
でも母が信じてないので出るに出られず(笑) だと思っています。

よろしく頼んだぞっていうことなのかな? 親心って素晴らしいなって思います。



。。。。。。。。。。


ちなみに夫もなんでも信じてる派。 でも怖がりではないです。 ゴーストはインテレスティングだそう。

ある日

「ねえアメリカ軍がUFO作ってるって横井さん言ってたよ、本当?」って聞いたら

「し!!。。。。だめだ!!この会話は聞かれている、、、ぶわっはっはっは!!」だって。   ばか?



。。。。。。。。。。。。


それから昨日の記事、ちょっと誤解を受けそうな書き方でしたので訂正します。

トモダチ作戦は軍の作戦でもちろん命令で出動していました。

昨日書いた「トモダチとして助けに来た」のは想像ですが、皆絶対にそう思っていたと信じています。

長崎原爆

私の祖父は、長崎原爆の被爆者でした。 

1945年 8月9日。 11時2分。 そのとき祖父は長崎にいたのです。

デスクワークをしていた祖父、鉛筆を落として机の下にもぐりこんだその瞬間だったそうです。

ものすごい光と爆音、次の瞬間には周りの何もかもが吹き飛び、焼けて、職場の人が皆死んでいたそう。

焼けた机の上を見ると、乗せていた4本の指先は、溶けていたそうです。 

小さいころから何度も聞いた話です。 祖父はそのまま現地に数日残り、遺体を集めたり、いろいろな手伝いをしたそうです。

祖母は小倉にいました。 数日帰らない夫。 あきらめた頃やっと帰ってきたのです。 小さいころ私は

「おばあちゃん、うれしかった?」と聞くと

「いいや!!幽霊かと思った。でもそれにしてはなんて臭いのと思った」と言っては笑ってました。 (はい、祖母は面白い人でした、私DNAいただきました)

祖母は何でもぼんぼん言う人だったのですが、それでも戦時中は口を開かなかった。 と言っていました。

”下手なことをいうと憲兵に連れて行かれる” 時代だったそうですが、今の日本あまり変わってないのでは、ないでしょうか?


原爆投下の第一目標は小倉でした。 小倉には祖母と高校生だった母が住んでいました。

歴史にもしはないといいますが、もし小倉だったら、私は存在してないかもしれません。

3回投下に失敗して目標を長崎に変えたそう(ウイキピディア)

祖父はその長崎で被爆し生き延びました。

。。。。。

別のエピソードですが、戦争が終わってからの話、、、。

戦争後の混乱期。 ある日アメリカ軍が来て祖父を連れて行ったそうです。

その時また祖母は祖父は「死んだ」と思ったそう。

当時は男は殺され女は強姦されると噂があったからだそうです。

でも祖父はまた生きて帰ってきた。 食料品を持って。

実は腕のいいシェフを探していて小倉基地で仕事をもらったのです。

少しずつ英語を覚え、皆から好かれたそう。 食糧不足だった当時の日本。 

仕事帰りにお土産といってハムやチーズを持たされ、近所の人に配り、泣いて喜ばれたそう。 

そのころ祖父が米軍の奥さんからお料理の本をプレゼントされたのですが、私の宝物です。 

祖父の話を息子に何回もしています。息子はこの話が大好きで、本も大事にしてくれると言っています。

そして、必ず息子や娘に伝えてね、と言ってあります。


祖父は被爆後も何年も元気でいましたが、20年ほど前癌で亡くなりました。 放射能と関係があるのかはわかりません。

Yokoさんのブログで長崎原爆から65年目に白血病になった方の記事を読んで、書こうと決めました。

男っぽく、やさしい人でした。 祖母を最後まで面倒見てから亡くなりました。

祖父とは血のつながりはありません。 でも祖父も祖母も大好きでした。
時々ふと2人がそばにいてくれるような気がします。 特に祖父はよく夢に出てくるんです。

見守ってくれているようなうれしい気持ちになります。



  私の誕生日は8月9日、長崎原爆の日です。 














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Author:tomotan
アメリカ人夫と結婚生活24年目、アメリカ生活17年目です。市民権をとり7年になりました。アイダホ、ハワイ、LAからオハイオにやって来ました。22歳の息子と7歳のニャンズがいます。ステージ3Cからの乳がんサバイバー14年目です。アメリカのドラマと映画が好きです。スリラー小説も。

乳がん治療の記録
2003年3月ステージ3乳癌発覚/ 3月手術2回(左胸全摘出とリンパ転移摘出)/5月から9月AC&Tの抗がん剤/9月から10月の終わり 放射線治療33回/ 再建手術、縮小手術、再建失敗により取り出し手術など4回/2005年子宮卵巣摘出手術 ホルモンブロック剤アルミデックス治療10年。 乳がん闘病日記はカテゴリーにまとめてあります。
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